祖母のことと割れた鍋。
寝る前に洗い物をしていたら、十年以上使っていた土鍋が真っ二つに割れた。
大事に使っていたわけではなく、こびりついたコゲや固まった米なんかを金だわしでわしわし削り取る、おおよそ酷い使われ方をしていた。
確か百均で買ったもののはずで、小ぶりなサイズで使い勝手が良く、結構な頻度で使用していたので、かなり頑張った方である。
ああ、コイツも寿命か、と考えた時に、先日百歳で亡くなったばあちゃんのことを思い出した。
百均の鍋と一緒に思い出すとか、ずいぶんとひどい孫もあったものだ。
ごめんよばあちゃん。
でも、生者から見て、寿命ってこういうものか、と思った時の感覚がとても近い気もしていて、この感触を忘れないように、書いておくことにする。
じつは、ばあちゃんのことは、もともと自分なりの整理のつもりで何度か文章に起こしてみたのだけれど、どうにもまとまらず、これは胸の中で消化していくものだ、と納得しかけていた矢先のことだった。
焦げて割れた鍋の間からふと、やっぱり書いておこう、という感覚が吹き上がってきたのだ。
ばあちゃんに、いいから書け、と言われたみたいに。
以下、ぼくの胸の中の感情を、割れた鍋で煮立てた煮こごりで、文字に書き起こす作業とする。
さて。
近しい人間といえば、親戚の伯母さんだったり、従兄弟だったり、友人の父ちゃんだったりの死を経験しているのだけど、ばあちゃんのお葬式はなんだか、今までのそれとはだいぶ違う感触だ。
近しい人が死んだこと、その悲しさや寂しさを注いだコップから、「命を使い尽くしたんだなぁ」という妙な納得感がじわじわと零れ落ちる。
2/22に、お袋から危篤の連絡があった時、悲しさや焦りや恐怖みたいなものより先に立ってあったのが、「今すぐ会いに行かねば」という義務感のような何かだった。
間に合っても間に合わなくても、行かなければならないと、予定調和のように身体が動いたのを覚えている。
もろもろあって二月を終えて、三月一日の葬儀のあと、ずいぶんと軽くなってしまったばあちゃんの入った骨壷を抱え、隣に座った伯母さんと話をした。あんなに落ち着いて伯母さんと話をしたのは初めてかもしれない。
「今ここにいる大半の親戚は、ばあちゃんが居ないと産まれてこなかったんだよね」
否応無しに、自分のルーツってやつを見せつけられる気分ではあった。
すべて終えたあと、家族でコーヒーを飲んでいた時の気持ちは、コップからすべてが零れ落ちて空っぽになったような気持ちだった。
ほんとうに、何も残っていなかった。
空虚、という意味ではない。
命のロウソクが、一滴残さず蒸発して消えてしまった、という意味で、使い切ったのだ。
これは、おおよそ寿命で命を終えた人の前に立ち会ったものでないと経験できない感覚なのかもしれない。
ばあちゃんの宝物でもあった可愛い盛りのちいさな甥っ子は、
「ばあばあちゃんはどこいくの?宇宙にいくの?」
としきりにしつもんしていた。
天国は空の上、と空の上は宇宙、という二つの新しい知識が、ばあちゃんを通じて混ざり合っているかのようだった。
コップから溢れた命が、役目を終えたロウソクの火が、彼の瞳の中でふつふつと湧き上がっているようにも見えた。
その時、寿命を全うするということは、かくも美しいものを見せてくれるのだな、と感動すらしていた。
晩年のばあちゃんは寝たきりになっており、幸福か不幸かについては察することしかできないのだが、残った家族がこんなふうに思い返せるのだとしたら、百年間生きてくれてありがとう、と言うのが今の正直な気持ち。
百年は難しいかもしれないが、ばあちゃんにがんばったね、と褒めてもらえる程度には、前向きに生きてみようと思います。
ちなみに割れてしまった鍋について。
実家に持って帰ってばあちゃんの墓前に、と一瞬おもったりもしたが、こんなもん持たされてもばあちゃん困るじゃろ、と思い直し、素直に燃えないゴミとして出すことにした。
その代わりに、四十九日には東京土産を持って帰って仏壇に上げておくことにする。洋菓子を買って、一緒に紅茶でも飲みましょう。
もはや、実家に帰るほどの頻度では会えそうにないけれど、また会う日を楽しみに。